日頃私たちは何かを食べ、外で風を感じ、家のベッドで横になる生活を過ごしてます。
ただ、デジタル機器の発達により生活様式が変わりつつあると思います。
人と会話をすることも、買い物をすることも、仕事をすることさえ手のひらサイズの小さな液晶画面1つで事足りる時代になりました。
このデジタル上での生活は今の私たちに必要不可欠なものになっています。
つまり、私たちは今五感で感じるフィジカルな生活と、目で追うデジタルの生活、この2つの世界を同時に生きていると思います。
私は今までデジタル上で見る景色、普段の生活の中で見る風景などを行き来し絵描いてきました。
本展では、この私たちの生きている2つの世界があるのと共に、それらが隣り合わせに存在し交差していることを見つめてみました。
何か難しい機器や言葉を指すわけではなく、液晶画面越しのものは自分にとってデジタルな世界だと感じています。ただ、生活をしている中で明確に「あ、今デジタルだな」などと感じることはありません。
都心に住み電車を使う自分にとって家から一歩外へ出た時に、何をするにも景色を見ることよりも小さな画面を見てる時間が増えている気がします。
そして今1人1つあるスマホの中には常に「人」が存在し、私たちはいつも「人」が何かしているのを眺めています。
私たちにとって、無心に感情を動かしてくれる風景としてあった自然の中の「空」や「山」が、今や小さな画面の中の「人」へと移り変わっているのかもしれません。
デジタルの対となる言葉として選んでいますが、自分の捉え方としては息をする世界での日常的なもの全般を指しています。
今、目に留まるフィジカルなものはすぐさまデジタルへと流れ込んでいきます。というのも「良い!」と思ったものはすぐに写真に撮れるからです。
その時その瞬間の気持ちよりも記録に気持ちが向き、実際その時の記憶はあまり残らず、曖昧な事が増えてきました。
なので今の私たちのフィジカルな風景とは輪郭線もままならず常に曖昧でぼやけ、滲んでいるのだと思います。
この2つの世界、風景が今の私たちの日常を表し、これらが隣り合い重なることで私たちの生きている日々が少しだけ視認できるような気がしてます。